東大祝辞・ジェンダー・そしてセクハラを考える。
東京大学の上野千鶴子名誉教授の祝辞に、心から共感した。
果たして自分が大学の時に
この内容をきちんと理解できたか自信がないが、
この祝辞を若い段階で受け取れるのは幸せなことだと思う。
読まれていない方は、是非一読をお勧めする。
以前、石井洋次郎先生の祝辞を紹介したこともあったが、
上野先生の祝辞の中でも述べられている通り、
こういった先生方がいること、祝辞を述べていることに、
東大の懐の深さを感じる。
自分は、「努力すればなんでも叶う」ではなく
「努力しても叶わないこともある、自分は恵まれているだけ」と
気づいてから学校なんぞにいっているもので、
いい歳になってしまったのだが・・・
でも、先生のおっしゃる通り、
(私は大学受験すらしていないので、東大でも無いし勝ち抜いたわけでもないが・・)
これからきちんと社会に返していけたら、と思う。
***
さて、
そんな先生の祝辞に敬意を評して・・・
今回は「セクハラ」がテーマだったジェンダーのセミナーについて。
実は、今まで「ジェンダー」というものに、
学問としてもジャンルとしても明示的に興味を持ったことはなかったのだが、
(むしろ、「私は女子だからどうのこうのっていう考えじゃないわ、
というマッチョぶっていたところも含めて、
よく知らずに、響き的に嫌煙していたという方が正しいかもしれない。)
今まで知らず知らずのうちに当たり前と受け止めていたこと、
当たり前と思いながら実は苦しんでいたことが、
きちんと学問として研究されていて、
その解決を人生かけて担っている人たちが沢山いるのだ、
ということをケネディ・スクールに来て実感し、
今期は一つぐらいそのテーマで授業を取りたいと思っていた。
結局スケジュール上、
授業 (Hannah Riley-Bowels教授) は取れなかったのだが、
毎週Women And Public Policy Program 主催で、
同教授がファシリテートしているセミナーがあることを知り、
できる限りの回、参加することにしたものだ。
***
アメリカでは、
セクハラは1964年公民権法上の
性差別禁止に反するものとして規定されている。
過去40年間で、残念ながらセクハラ件数は減っていないそうだ。
40%程度の女性が「過去2年間にセクハラを受けたことがある」と回答している。
会社などで、セクハラ対策の定番言えば、
(1) 社内にセクハラを通報するところがある
(2) 会社の規定やセクハラの定義などを教える研修がある
という2点。
アメリカにおいては、
90年代のクラレンス・トーマス最高裁判事とアニタ・ヒルのセクハラ事件以降、
殆どの会社で上記の2点が整備されているそうだ。
それでも、効果はなかったのだろうか?
ハーバード社会学部のDobbin教授のチームは、
100名以上の従業員がいる会社800社超に対して、
30年間研究を続け、データを分析。
結果として、わかったのは以下のようなことだった。
• 通報の仕組みがあっても、結果的に手を挙げた女性が不利益を被り、多くの場合辞めてしまう。
• 特に、男性は多くの場合、女性のセクハラの通報を信じない。「本当にセクハラがあったのか?」「恋愛関係がもつれただけなのでは?」「女性はお金欲しさのために言っているのではないか?」「実力のなさを隠すためにいっているのではないか?」などの理由をつけてしまう。
• ハラスメント研修は、多くの場合男性の行動を変える効果が限定的。
• 研修によって、もともと女性蔑視的な人はハラスメント行動を悪化させ、もともと女性問題に理解が深い人はハラスメントを減らす。
• 幹部向けなどで行われる、第三者的な研修(bystander intervention)は効果あり。
• 第三者的な研修とは、「あなたセクハラ気をつけてください」という研修ではなくて、「職場では必ず起きてしまうセクハラの現場に遭遇したら、あなたはどういう行動をとるべきか」という研修。
• 女性の幹部が増えることは、女性が辞めないという効果も含め、効果が高い。
というものだった。
結果として、セクハラを減らすには、
• 通報窓口ではなく、
相談窓口(通報すべきかどうか、配置換えで解決するか、など相談に乗ってくれる)
匿名窓口(通報者に、第三者が同意すると人事調査が始まるEscrow reporting)
を整備。
• 第三者的な研修を拡大。
• 女性管理職を増やす。
というあたりが、今有効と考えてられていることのようだ。
ハラスメント研修ではなくて、インクルーシブ研修を実施している場合はどうなのか?
などいろいろまだ研究途上のようだが、
何より、
こんなにデータと統計(きちんと人種や他要因などcontrolして信頼区間を算出)で
このテーマが研究されているんだ、、、ということに驚いた。
***
上野先生の祝辞を読みながら、
そう言えば、ケネディ・スクールに来て、
自分が所属していた大学のサークルの
「部長」が男性で「副部長」が女性という慣習すら
疑問に思ったことはなかったことに、
ふと気づいた時の衝撃、
どこで読んだか忘れたが、
ギンズバーグ最高裁判事が、
最高裁がどれくらいの男女比率になったら平等と感じるかと問われて、
「全員女になったら」(今まで全員男性で誰も違和感感じない時代が続いていたわけで)
と言っているのを見た時の衝撃、
を思い出した。
〆
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