HKS女性リーダーの横顔(6):教育変革者、3歳児の母、妊婦、そして学生-Bethの場合。

==HKS女性リーダーの横顔シリーズ==

(1) 家族の理解が得られなくても自分が変えるーアルジェリアのLucila

(2) 小さな島国からの発信ーバルバドスの外交官Donna。

(3) 選挙ボランティアから政権中枢へーPhillyの良心Gwen。

(4) 3人の母であり起業家。幼児教育を変えたい!男女平等の国ルワンダのLydie

(5) 防げる失明を減らしたい。医師が政策を学ぶ理由―エジプトのDoaa。

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まだ日本での生活ペースができていなくて

なかなかブログが進まないのが悩みなのだが、


とにかく、思い入れのある「戦友」Beth Gibbonsを紹介したくて更新!


彼女は、同世代で、先月3歳になった男の子の母親でもあり、

この夏に2人目が生まれる予定の妊婦でもあり、

そして一緒にケネディ・スクールで過ごした同級生でもある。


小さな子供と学業の両立で苦労し、支えあった仲間の1人だ。


***


彼女が高校生の時、

どの大学に行くべきか悩みながら

色々な学校のパンフレットを読み漁っていた。


南カリフォルニア大学(University of Southern California)の

ブックレットを手に取った時に、


「君は世界を変えたいか? (Do you want to change the world?) 」


という公共政策コースの紹介タイトルが目に留まったそうだ。


即座に、「うん、変えたい!」と思った彼女。


そして、その資料は読み進めれば読み進めるほど、

彼女に響く言葉が続いたそう。


そうして、彼女は同大学を卒業することになった。


***


世界を変えたい、

という公共政策・政府に関する情熱は

常に彼女の心にあったが、


彼女は最初のキャリアとして、

まずニューヨークで学校の先生となることを選択した。


それは、彼女が大学で公共政策を学んだ時に、

「「教育」こそが、アメリカにおいて恵まれない人々が貧困から抜けたす道だ」

と確信したからだった。


彼女は、小学校3年生の特別学級を受け持つ先生として

現場を見ることで、


現実ではアメリカには教育においても

貧困層や黒人の人々が質の高い教育にアクセスできていない

という問題があることに気づく。


彼女は先生を3年間した後、

Advocay(ロビイング)の仕事に転向する。


教育政策が意思決定されている場所と、

実際の教育現場のリアル。


このギャップが大きことを知り、

これを埋めるのが彼女のミッションだ、と活動する。


彼女は、ロサンゼルスに引っ越し、

州レベルの教育関連の法律を改善するために奔走した。


生徒の親、学生、先生、コミュニティ、教育や人権団体など

様々なステークホルダーを纏め、

教育政策を改善していく。


例えば、彼女がロスで最も力を入れたのは教師の質を担保する政策。


多くの学区では先生としての経験が長い方が給与も良く、色々と守られている。

一方、若い先生は、経験が無いままに一番「難しい」貧困地域などの担当になることが多い。


給与も少なく、経験も少ない先生たちが、

最も難易度が高く、厳しい職場に割り当てられ、

挫折してすぐ辞めてしまう確率はとても高く、

ますます貧困地域の生徒達は、質の高い教育にアクセスできなくなる。


そのような仕組み上の負の連鎖を如何に断ち切れるか。


彼女達は、いかに先生達の質を高めるか、

如何に質の高い先生が先生として留まれる仕組みを作るか、ということに注力し、

先生の評価方法を変えるなどの法案の為に戦ってきた。


***


彼女に、

「今までの人生で1番の困難はなんだった?」と聞いた時、


「ケネディ・スクールに入学して卒業するまでの旅路だね」

と彼女は返答した。


彼女とは本当に苦労を共有していたので、

やっぱり、と思ったが、

小さな子供の母親業と学生を両立するのは大変だったようだ。


***


彼女がケネディ・スクールの受験をしている時、

彼女の息子は7ヶ月。


彼女は子育てのため一時的に仕事を辞めていたそうだ。

(そう、アメリカで日本のように育休を取れるのは稀です)


おっぱいに吸い付く息子を左手で抱きながら、

右手でスマホのGRE(受験に必要な統一試験)アプリで勉強をしていたとか。


当時の彼女は、母になってすごく自信を無くしていた、と教えてくれた。


「子供ができて仕事を辞めて、

考えることといえば、オムツがどうだとか、授乳がどうだとか、家の中のことばかり。

自分の脳みそは価値がないっていう気持ちになったわ。」


彼女は昔からケネディ・スクールに行きたいと漠然とは思っていたそうだが、

そんな、産後自分を見失いつつある彼女に、

実際にそのタイミングで学校を受験することを勧めたのは、

旦那さんだったそうだ。


「彼は仕事関係でボストンによく出張に行っていて、

しかも彼の家族も東海岸にいるから、

受かって一緒にボストンに引っ越すっていうのは理にかなってて。」


「彼の後押しがなかったら、絶対にやってなかったと思う。

彼は冒険好きだし、結果的には、

ボストンに引っ越してきたことが、家族にとって素晴らしい経験になったわ。」


しかし、道のりは平坦ではなかった。


「まず、自分が受験に受かるってことを信じることも、かなり勇気がいるわよね。

だって、働いてないんだよ。」


キャリアを中断することの恐怖は、とてもよくわかる。

私も夫が留学する際に帯同のために一時的に会社を辞めた時、

自分を見失いそうだった。


彼女は、受験のための推薦状を仕事関係の人に依頼した時に、

今は働いていない、と修正のやり取りをしたりするのがとても心苦しかったと言う。


合格した後も、

かなり夫婦間でバランスを取るのは困難を極めた。


「毎日、何かにNoって言わなくちゃいけないのよね。」

聴きながら、私も「ウン、ウン」と大きく頷いた。


なぜなら、Bethも私もその日の夕方に予定されていた

Ricardo Hausmann教授が特別に卒業生にレクチャーしてくれる

最後の講義に参加できないことがわかっていたからだ。


夕方の6時から8時に設定されているイベントは、

ご飯・お風呂・寝かしつけと重なるので、特に参加が難しい。


「時間的な制約に加えて、精神的なハードルもあると思うの。

母であると同時に学生であれるのか、と。」


「・・・でも、ここまできたね。 (But, we made it, Jun!)」


彼女が頑張っていたことを横で見ていたので、

思わずインタビュー中に手を握り合ってしまった。


そして、彼女の更にすごいところは、

今2人目の子供を妊娠していると言うことだ。


「でも、タイミングは割と良かったのよ。

ちょうど悪阻で辛い時に冬休みが重なったから。」


(妊娠中の体調は人それぞれだとは思うが、

個人的には、この厳しい学生生活で、

イヤイヤ期の子供もいて更に妊婦だったことには驚愕した。

彼女は前半に授業を寄せていて、

少し後半はゆったりできるようにしていたと教えてくれたが。。)


今後は、8月に2人目の出産を予定しており、

家族で新しい旅路が始まる。


彼女は引き続き教育政策に関わる仕事をする予定で、

そのうち選挙にも出たいと語ってくれた。


彼女も、Oval Officeプログラムに一緒に参加した1人だ。


「何をするにしても、

アメリカの子供達とその家族の人生を、より良いものにする、

と言うのが私のテーマ。」


「私はもっと女性の政治家が増えるべきだと思ってる。


高い倫理を持った人。

最近のリーダー達にはがっかりすることが多いから。


選挙に通った人は、

自分の力に固執するのではなくて、

人々のために何をするかを考える考えるべきよ。


選挙に通ったリーダーというのは、

インパクトを出して、

沢山の人々の人生に変化をもたらせるんだもの。」


***


「世界を変えたいか?」

高校生の時にそう聞かれた彼女は今も、

その問いに応えるべく走り続けている。


そうはいっても、我々は現実の世界では、

どういう人生を生きていくべきか?という詳細を考える時には、

小さな(でもその時々の自分にとってはとっても大きな)悩みに

ぶつかりながら選択して生きていかなくてはならない。


自分の子供にとって、家族にとって、何がベストな選択なのか?

この決断は履歴書にのった時、人にどう見られるのか?

家族や仕事のために引っ越すべきか、留まるべきか?

いつが仕事の勝負時で、いつが家族中心にするべき時なのか?

・・・


しかし、彼女と話しながら、

私は少し楽観的な気持ちにもなった。


この人たちは大丈夫。


きっと、どんな選択をしても、

それがベストだと信じて未来を切り開けるだろうから。


ある意味、この楽観性が、

私がケネディ・スクールの逞しい女性達から学んだことの

一つかもしれない。


Bethが選挙に出る姿を楽しみにしている。

(卒業前、よく女子達とお茶するカフェにて。実は後ろに写っている子も同級生。。)



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